2006年06月17日

村上ファンドは出る杭だった?

「守旧派の逆襲」「出る杭は打たれる国」−−。 
村上ファンドの村上世彰逮捕を伝える欧米メディアの論調は冷ややかだ。 
古い日本の復活とはやしたがる気持ちも分かるが、本当にそうか。

世間の脚光を浴びた一握りのヒルズ族。
その陰で、無数の小さな杭があちこちで姿を現しつつある。

大勢に従うことが幸せにつながる時代はもう戻ってこないことに人々は気づき始めた。
その波は止められまい。
人と違うことをする者を胡散臭いと思う「文化」は確かにある。
一方、古い概念にとらわれずに物を見極めるのも日本文化。
本物の「出る杭」は残るはずだ。
                                           日本経済新聞 6/16  夕刊  『波音』「がんばらやんばい‥‥」、「がんばらやんばい‥‥」。
新郎であるわたしの前に膝を進められた先生は、目を潤ませながら、わたしの手を強く握り締められた。

熱いものが内部からこみ上げ、わたしは素直な気持ちで、涙が頬を伝うのに任せていた。


13年前、結婚式の披露宴のことである。わたしは新婦とともに、やや緊張して居ずまいを正していた。

酒もほどよく入り、それぞれのグループでは話が弾みだしていた。
そうした中を、旧海軍兵学校出身で、重厚な風貌の先生の低く震えた声が、部屋に響いた。ハッとしたように座が静まり返った。

娘をもつ今になって振り返ると冷や汗ものだが、わたしにはそのとき職がなかった。
大学を出てから1度も定職に就かず、国内やヨーロッパ諸国を歩き回っていた。

生活のための就職活動を、心のどこかで物乞いのように思っていた。
できれば一生、旅を続けたかった。
わたしには、社会人として根本的に欠落している部分があるようだ。

新婦には仕事があった。
彼女の両親や兄弟また親戚の方々は、どんな気持ちだったろう。

いい加減な男に引っ掛かったものだと、苦々しい思いをされた向きもあったに違いない。

かわいい孫娘の、あるいは姪の、取り返しのつかない身の不幸を嘆かれた方もあったろう。
ただ、義父からは、「よろしくお願いします」と頭を下げられた。

先生は祝辞の中で、わたしという人間を、今の社会にうまく適応できないがけっして不真面目でもなければ、怠惰な人物でもない旨のことを力説して下さった。
わたしを受け入れるだけの度量が社会にないから、わたしが不遇をかこっている意味のこともおっしゃった。

「先生、それちょっと違いますよ」と内心思い、無性に照れくさかった。
だが、やはり、うれしかった。

先生は、新婦方の出席者に対して、「どうか、心配しないで下さい。大滝は不器用なだけで、けっして変な男ではありません。信じてやって下さい」と精一杯の弁護をして下さったのかもしれない。

わたしの両親は、先生のこの思いの深い言葉に、どれほど救われたことだろう。
 
そんな先生に、わたしはずっと不義理を重ねてきた。
東京、それから埼玉の川口に出てから20年近くになるが、わたしは冠婚葬祭のほか、めったに郷里に帰ることはなかったのである。
正月とお盆も例外ではなかった。

あの披露宴の後、わたしは先生に何度お目にかかっているのだろう。

お会いしなくても、わたしはどこか安心していた。
思慕の念は間違いなく、先生に伝わっていると疑わなかったのだ。
にっこり笑って許して下さっていると勝手に想像していたのだ。


先生は高校時代の恩師であり、心の拠りどころであった。
悲報を耳にしたあとも、先生が亡くなられたなんて信じていない。

今でも、わたしの心の中に住んでいらっしゃるからだ。
これからもずっと不肖の教え子を、温かく見守っていて下さる。
そう、信じている。

posted by asaborake at 19:36| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/19411009
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。