2006年06月03日

戦争は総括できたのかA

‥‥新しい罪を裁くものとして、東京裁判が設けられたわけですね。
東京裁判のおかげで、裁判をやらなければ破壊されたであろう日本政府の記録が押収され、公開されました。
きちんとした歴史の記録が残ったのです。
また、なかには日本の指導者を捕まえ銃殺にしろという意見もありましたが、法の支配を重んじた結果、裁判を開くことになりました。
A級戦犯一人ひとりに弁護人が付きました。
裁判が2年半にわたった理由の一つは、弁護側に反論の時間を与えたということもあるのです。

‥‥評価できない点は
裁判が『勝者の裁き』であったのは事実です。
日本もドイツも、空襲で民間人を殺した罪を問われませんでした。
それは、連合国側も空襲をしていたからです。
また、米国の原爆投下は裁かれませんでした。
歴史事実の問題でいえば、判決が認定した1928年日本の指導者が戦争の共同謀議をしていたという説を受け入れる歴史家はいません。法律論では、『平和に対する罪』は、戦争が終わったときには存在していませんでした。
法律学でいう事後法にあたります。

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posted by asaborake at 15:59| 東京 🌁| Comment(1) | TrackBack(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメント、させて頂きます、まず、東京裁判なるものは、戦後の日本の統治に有利にさせる為に行った政治裁判であり、戦争に対する裁判ではなかったと思いますm、まず、「平和に対する罪」などおかしい、じゃあ「戦争権」は国際法上認められているのに(今現在でも、現にアメリカはやっている)負けたから後でデッチ上げられた法律で裁かれている、インドのバル判事は全面無罪とまで言い切っている、これは、裁判の締めくくりでキーナン検事が言っていた「文明に対する罪」ではなく、「白人に対する罪」に置き換えると裁判全体がすごくスッキリと理屈が合うのです。皆さんも考えて下さい、日清戦争後の三国干渉から、おかしいのです、列強にとって、東南アジアは黄金郷だったのです、だから新興国「日本」が目障りだったのです、だから日本は台湾、朝鮮、の植民地政策の反省の元に「満州国」を五族協和のアジアの「合衆国」を目指したのです。(一部の関東軍に邪魔されましたが)でも建国の理念はあくまで「合衆国」を目指したのです、経済、インフラ、すべて、日本の国家予算をうやまう資本をつぎ込んだのです、戦後、国共内戦時代に、毛沢東は東北(満州)さえ抑えれば蒋介石に絶対負けないとまで言い占めたほど整った国家であった。(中国4千年の歴史で満州は禁国「タブー」の地域であった)その為に今現在も「万里の長城」が現存しているではないか。必要が無ければ何千年も存在する訳が無いではないか?(今では観光目的で必要ではあるが)あれは、金と言う国(野蛮国)から漢民族を守る為に作ったのであり、かの孫文も「満州」を日本に買ってほしいと交渉した事もあったのです。今は中華人民共和国に帰属していますが、その昔は色んな民族が多種多様に生活していて、誹謗な軍閥が割拠していたのを日本が整理して国にしたのです。歴史にも、コインにも何事にも、裏表があります。決して日本が良いことばかりしたとは思っていませんが、良い事もあったと思います。
Posted by バツイチ小心者 at 2006年09月27日 01:10
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Tracked: 2006-06-03 18:18
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