2006年03月09日

公の私化

日本を含めた近代が前提としてきた、権力を制限して個人の自由を守るという立憲主義の考え方とは全く正反対のことが起きているのである。
また、小泉氏の言動から、公権力を持つ人々が心のままに行動する「公の私化」が日本社会で進んでいるのではないかという危惧を覚える。

ライブドア事件などでも明らかになったように、「官から民へ」というスローガンの下、実は「公」から「私」へ、つまり公共的なものの価値をおとしめ、私益が優先されるという流れが経済の領域で進んでいる。

総理大臣は、日本国というまとまりを持った公共社会の意思を内外に伝達する一番目に付く立場にある。
自らの言動に対する国際社会の評価を含め、様々なことを考えてメッセージを発すべきなのに、言動に感情や情緒といった心の問題を持ち込むのは、「公の私化」が政治の領域で始まっていることの表れだろう。

かつては権力者の心の自由のままに、権力を持たぬ者の自由は切り捨て御免だった。
王侯貴族の所有物だった政治が公共の手に移ったのが、近代であったはずだ。
その前提が失われようとしているのだろうか。
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朝日新聞 『靖国参拝は「心の問題」か』 のうち 憲法学者・樋口陽一氏の文から    
          こちらもどうぞ⇒ネット社会、その光と闇を追うー
posted by asaborake at 17:53| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
法律に時効と言う考えが有ります。「権利が有っても行使しなければ時間が経てば消滅する』と言うことです。
日本人にとって、民主主義はヨーロッパの様に自分で戦い取った物では無く、公が認めた物、お上に与えられた物と言う考えが有ります。
憲法の製作時の精神では、「私達は平和と民主主義を不断の努力で守ら無ければならない」とあります。

不断の努力でやっと維持されるのが民主主義なのでしょう。
権利を主張しない者の権利は,何時かは無くなるのです。
Posted by 布引洋 at 2006年04月29日 20:29
>権利を主張しない者の権利は,何時かは無くなるのです。
フランスでは、街頭デモで政治がひっくり返ることが伝統的にありますね。
つい先日も、若者の雇用問題でドピルマン首相の政策が覆され、首相の威信が地に墜ちました。

日本では、テレビに出演したり新聞に論文を寄せたりできない一般国民は、選挙における投票だけでしか意思を表明できません。

全ての国民が意思表示できる手段があればいいですね。
ブログはひとつの可能性としてあるかもしれません。
Posted by 大滝三千夫 at 2006年04月30日 17:10
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